橘天音とゆかいな日々

詩人で釣り人で介護士の雑記帳

WEB詩人あまねの半生①

さて、私は自分を「詩人」だと名乗る者である。詩人と名乗るからにはもちろん

詩を書いている。最近はペースが落ちているが、多い時は一日に3つも4つも書いたりした。

書き始めたのは2004年のことだった。鬱になり仕事をやめて引きこもっていた時期だ。ネットとゲームしか毎日やることがなくて、何か変化が欲しかったのだと思う。

詩は子供のころから嫌いではなくて、教科書に載っていた中原中也の「一つのメルヘン」なんかは大好きだった。学生の時には宮沢賢治の詩集を一冊買って時々眺めたりしていた。それでも自分で詩を書こうという気持ちにはなかなか至らなかった。

突然詩を書きだしたのはなぜだったのだろう。いちばん大きな要因は「ヒマだった」ということだろう。何せひきこもりである。時間はいくらでもある。

パソコンを立ち上げて、Wordを開いてキーボードをちょいちょいとたたく。

鬱なので集中力は持続しない。長い文章は書けないが、詩のようにフレーズをいくつか

つなげていくことはできた。

初日に3つくらい書いたと思う。書いてみて、家族の中ではいちばん仲が良かった妹に見せてみた。ひきこもりだから、見せる相手は家族くらいしかいないのである。

しかしいきなり人に見せようと思うあたり、承認欲求を満たしたかったというのも書き始めた大いなる要因なのだろう。

とにかく妹に読んでもらった。妹は何の感想も口にしなかったが、ひとこと「ネットで投稿してみたら?」と言ってくれた。

その瞬間である。WEB詩人あまね、つまり私こと橘天音の誕生であった。

ぱちぱち。

「詩 投稿」で検索したら、日本WEB詩人会というサイトが一番に出てきたので投稿してみた。日本WEB詩人会、通称「ぽえ会」。当時はいちばんにぎわっていた投稿サイトだったと思う。投稿すると、読んだ人がなにがしかの感想を書いてくれる。感想を書いてもらえるというのがとにかく嬉しかった。

ちょっとパソコンの前で小躍りしたくらいである。

投稿数に縛りがあり週に1作品しか投稿できなかったので、毎週投稿できる日になるのが待ち遠しかった。気づいた時には常連の仲間入りをしていた。

便利な時代である。顔は見えないが自分の作品を評価してくれる仲間ができたのが嬉しかった。昔だったらそうそう気軽に詩の発表などできなかっただろう。インターネットさまさまである。どっぷりとハマった。詩の投稿以外にも掲示板の機能もあったのでちょいちょい書き込んでは返信がつくのをじっと待っていたりした。

なにせひきこもりである。時間は腐るほどある。というか時間はすでに腐っている。

ダイヤルアップ接続の時代だったので、きっと実家の電話代がえらいことになっていたと思う。

 

そんなこんなで、私のネット活動が始まったのであった。

 

つづく